漁魔が行く-10(キハダ編)

日本三大健脚の謎

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2000年3月17日

漁魔はその後、前回見逃した御厨人窟(みくろど)を目指しました。徳島の方から行くと、白くて大きな青年太子像が見えてきますが、そこを過ぎるとすぐ右側にあります。前回は太子像に気を取られて見落としていたんですよ。

そこに小さな鳥居が2つ、その奥にそれぞれ洞窟があって、向かって左側が御厨人窟です。入口は狭いですが、奥行は10メートル以上あるでしょうか? 奥の方は天井も高くて住み心地が良さそうでした。空海はこの洞窟に寝泊まりして修行に励んだのでしょう。

漁魔は『きっと霊験あらたかに違いない』と思い、賽銭箱に100円を投入して「大きいお魚をお願いします」と、ひとつだけお願いをしました。するとどうでしょう。漁魔が入口の方を振り返った瞬間、黄色い閃光がパッと差し込んできたのです。何か怪しげな光でした。

『こ・これは!』

行く手にきっと『まさか!』と思うようなことがあるに違いありません。何か言葉では言いあらわせない予感がしました。

前回も空海のことを少し書きましたが、一般的に知られていることを書いても仕方ないので、今回はマニアックな情報と漁魔の見解だけを書くことにしましょう。いろいろ調べているうちに、こんなことが書いてある本を見つけたんですよ。

空海は18歳から24歳までの6年間と、25歳から31歳までの6年間、ほとんど消息がつかめない。

おそらく、その間に諸国を行脚したのだろう。空海は日本三大健脚の一人と呼ばれている。

空海;八尋舜右(成美堂出版)より

まず、18歳のときに何があったかというと、真魚(まお;空海の本名)は大学を中退して、修行僧になりました。そして、24歳の時「三教指帰」という本を著し、31歳の時、遣唐使として唐に渡ったのです。

ところが、わかっているのはこれだけで、20代はほとんど謎なんですね。“峰入り”という、山中をひたすら歩く修業をしていたらしいのです。みなさんの住んでいる県にも、「弘法大師が立てたお地蔵さん」があるとか、「弘法大師が人助けをした」という伝説があるでしょう。

漁魔が住んでいる神奈川県にもいくつかありますよ。たとえば伊勢原市の西隣の秦野市には弘法山という山があり、川崎市には弘法の松があります。なんかウソっぽいけど、弘法大師が来たことになっているんですよ。

検索エンジンで調べたら、弘法松公園の説明を見つけたので引用します。

弘法松公園(こうぼうまつこうえん)

駅前通りを団地方面に向かって徒歩10分、眺めのひらけた高台にひろがる公園。展望がすばらしい。昔、弘法大師が当地に立ち寄った際、ここの松の木の下で休んだといわれている。昭和31年、浮浪者のたき火の不始末が原因で樹齢450年の松の木は焼失、現在の「弘法の松」は2代目。

これのどこがオカシイかというと・・・1代目の松が樹齢450年だったというところです。弘法大師が生まれたのは774年、死んだのは62歳とされているので、死ぬ間際にここを訪れたとしても、1代目の松が樹齢450年のわけがない。だから、これは完全なウソッパチだと思います。

何か不思議なことがあって、そこに坊主がいれば、すべて弘法大師の仕業ということになったのでしょう。本物もいくつかあると思いますが、半分以上は作り話です。

しかし! ここで気になる言葉が出てきました。それは、日本三大健脚の一人というところです。日本三大健脚なんて聞いたことありませんよね。漁魔も初耳だったので、さんざん調べました。しかし、あとの二人が誰なのかは、どこを探しても書いてないのです。

そこで、Yahoo!、Infoseek、ODIN、Lycos・・・代表的な検索ページで、様々なキーワードを打ち込んでみたのですが、とうとうネット上に「三大健脚」の文字は見つかりませんでした。仕方ありません。なければ自分で回答を出すしかないでしょう。結論は以下の通りです。

まず一人目は容易に想像できました。それはたぶん、初めて実測による日本地図を作った伊能忠敬に違いありません。井上ひさしの小説に「四千万歩の男」というのがありますが、これは伊能忠敬をモデルにした小説です。

4歩で2.5メートル進むと計算すると、2.5×1千万メートル=2.5万キロメートル・・・でしょ。2万5千キロというと、宗谷岬から鹿児島県の佐多岬までを4往復ぐらいしたことになります。

しかも、このオジサンが歩きはじめたのは55歳で隠居してからなんですよ。信じられますか? でも、これは事実なんです。多分間違いなく、日本三大健脚の二人目は伊能忠敬ですね。

さて、困ったのは三人目でした。漁魔は「亀の甲より年の功」という言葉を思い出したので、日本史に詳しいおふくろに聞いてみました。するとおふくろは「曽良じゃないの?」と言うんですよ。

曽良(そら)というのは、松尾芭蕉のお供で奥の細道に同行した俳人ですけどね、芭蕉と大垣で別れたあとも旅を続けて、最後は長崎県の壱岐で息を引き取ったことになっています。

まあ、相当な健脚には違いないと思いますが、イマイチ有名じゃないでしょ。そこで閃いたのが水戸黄門だったわけです。

調べましたよ・・・水戸黄門について洗いざらい。TBSのサイトに水戸黄門大学というコーナーがあるので、そこで調べました。それでは調べたことを発表します。

ここで『やったね!』思いました。もうこれは水戸黄門に間違いないでしょう。しかし、水戸黄門は現在三代目だし、一人で歩いているわけじゃない。ということは、一行の中で一番の健脚を選ばなきゃいけないってことです。

『助さんかな? それとも格さんかな?』

『いや、待てよ。うっかり八兵衛は最初から出ているんじゃないの?』

とまぁ、こんな想像を巡らせたわけです。そこで、今度は出演者のことを調べてみました。すると・・・

役名 俳優 初登場 役柄
水戸黄門 佐野浅夫 第22部 ちりめん問屋の御隠居
助さん あおい輝彦 第18部 峰打ちで敵を蹴散らす
お 銀 由美かおる 第16部 お風呂に入る
格さん 伊吹吾朗 第14部 印籠を出す係
八兵衛 高橋元太郎 第2部 ムードメーカー
風車の弥七 中谷一郎 第1部 悪人の正体をあばく

何と! 日本三大健脚の三人目は風車の弥七でした。弥七役の中谷さんだけが昭和44年(1969年)の第1部から連続して出演しているのです。うっかり八兵衛は弥七を慕うこそ泥として第2部から登場したんですね。