乙女峠とお玉が池

箱根関所

箱根関所について調べているうちに、ちょっとした話のネタを見つけました。この話は彼女を芦ノ湖に連れて行くときや、家族サービスで箱根に行くときなどに披露してください。

箱根・芦ノ湖の地図(Flash)

それではまず、地図の左上、乙女峠の話からはじめましょう。乙女峠は奈良時代から人が通う交通の要所でした。そしてここは江戸時代、関所破りが通る道でもあったのです。

その当時は旧道(旧東海道)が幕府の定めた道で、旅人は必ず箱根関所を通らなければなりませんでした。入鉄砲に出女という言葉を日本史で習いましたよね。関所では江戸に鉄砲が入ってこないように、それから大名の子女(人質)が逃げ出さないように厳しい検査をしていました。問題の箱根関所ですが、ここは数ある関所の中でも特に出女に対する検査が厳しかったようです。

男の場合は手形を見せれば簡単に通してくれたのですが、女の場合は簡単に通しません。箱根の関所には人見女という係がいて、特に女を厳重に検査したのです。

当時、女の手形にはホクロの位置とか、頭のどの辺にハゲがあるとか、本人を特定するための項目がたくさん書かれていました。人見女は手形の人物に間違いないか、クシで髪の毛をかき分けたり、体のホクロを検査していたんですね。

さて、問題の乙女峠ですが、名前の由来は若い女が関所を通らずに乙女峠を越えようとして役人に捕まり、ここで火あぶりになったからという説があります。他にも乙女という娘が毎晩この峠を越えて父親の病気が治るように地蔵堂にお参りをしたなんて話もあるんですけどね。

でも、本当のところは良くわかりません。ひとつだけ確かなことは、ここが大昔から人が通う道だったということだけです。箱根の関所ができたあと、この道は閉ざされて仙石原に裏関所が置かれたのですが、この峠は当時、御留峠と呼ばれていたそうです。ですから、のちに女の話がくっついて乙女峠になったというのが本当のところでしょう。

もうひとつ、

旧道をちょっと下ったところにあるお玉が池も関所破りに関係があるようです。お玉という女が関所破りをして捕まり、この池のそばで処刑されたという記録が箱根関所に残っているんですよ。

他にも、「お玉、お杉という旅芸人が手形を持っていなかったので関所を破って逃げ、逃げ切れずに力尽きて那津奈可池(なづなかいけ)に身を投げた。以来、この池をお玉が池と呼ぶようになった」という説があるのですが、いずれにしろ関所破りのお玉が死んだ場所と思って間違いないでしょう。

実は旅芸人の場合は手形を持っていなくても芸を見せれば通ることができたのですが、ふたりはそれを知らなかったわけです。

関所破りの罪は死罪ということで、目茶苦茶に厳しいものでした。特に女性の皆さんは現代に生まれて本当に良かったですね。

芸を披露すれば関所を簡単に通れたというところから「芸は身を助く」という言葉が生まれたのでしょうか?


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