深良水門

箱根用水

湖尻の対岸に深良水門というポイントがあるのを皆さんご存知でしょう。実は深良という地名は外輪山を越えた向こう側、静岡県裾野市の地名なのです。芦ノ湖の水は箱根用水というトンネルによって裾野市の潅漑用水に使われているんですよ。

この用水は江戸時代初期の寛文10年(1670)に4年の歳月をかけて掘られました。静岡県側深良村(現裾野市)の新田開発のために掘られたもので、長さが1,342メートル。高低差は9.8メートルあります。何と! 今から300年以上も前に作られたんですね。江戸時代の土木技術は想像以上に進んでいたということです。1キロ以上のトンネルを両側から掘って、見事につなぐことができたんですから。しかも、水を流すためには傾斜をつけなければなりません。水平に掘るよりずっと難しかったでしょう。

なぜ、こんな難工事が必要だったかというと、深良村を北から南に流れる黄瀬川の水量が少なく、灌漑用には不十分で水田開発ができなかったからです。この用水は国境を越えて深良川に注ぎ、さらに新川掘削工事などを施して黄瀬川まで結ばれました。そして、御殿場市の一部、および裾野市、長泉町、清水町など、面積500ヘクタアール余りの水田に現在も潅漑用水を供給しています。

さて、この用水を誰が作ったのでしょうか? 資料は ブリタニカ百科事典 です。それでは、はじめますぞ。

1663年(寛文3)ごろ、深良村の名主、大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、江戸浅草の商人と伝えられる友野与右衛門の資金提供を受けて、まずは芦ノ湖の水利権をもつ箱根権現に工事の許可を得ました。

つづいて大庭、友野らは幕府の許可を得て、66年に工事着工。動員された人夫はのべ83万人、火薬を用いずにひたすら掘り進んで70年に完成させたという記録が残っています。

では次に、大庭源之丞について調べたことを書きましょう。

※大庭源之丞(おおば げんのじょう)

生没年不祥。江戸前期、駿河国駿東郡深良村(静岡県裾野市)の名主。箱根用水の地元発企者。代々深良村名主役にあたる大庭家に生まれる。

深良村を含む付近の村々は、水利に恵まれず未開発地が多かった。その対策を思案していた源之丞は、江戸・浅草の商人友野与右衛門らが箱根外輪山に隧道をあけて芦ノ湖の水をこの地に送る計画を立てたのに参画、幕府に許可を願い出た。

1666年、ようやく工事の許可が下り、同年友野を元締めに着工、1671年に完成して(隧道だけは70年完成)通水を開始した。これにより、この用水の水掛地の生産性は大いに上がった。

しかし、この工事には箱根関所とのかかわりも加わって幕府の圧迫も強く、また、難工事で枯渇気味の資金事情もあって、源之丞は幕府、元締および労務提供の農民達の間に挟まれ格別な苦心をした。

友野らに対する幕府の圧迫は工事完成後も続き、彼らは間もなく行方不明となるが、幕府の手により殺されたという伝承もある。源之丞の没年不祥は、この友野らの運命にかかわったのかもしれない。

ということで、大庭も友野も、工事終了後にこの世から消え去ってしまいました。今も彼らの行方は謎に包まれたままです。そして、現在も神奈川県には芦ノ湖の水利権がありません。芦ノ湖の水を灌漑や発電に利用できるのは静岡県なのです。

どうやって1キロ以上の隧道を両側から掘り進んでつなぐことができたのか、源之丞達がどうなったのか、なぜ芦ノ湖がある神奈川県に芦ノ湖の水利権がないのか・・・。皆さんは知りたいと思いませんか? 答えは芦ノ湖情報で紹介している湖尻のボート屋さん Violet にあります。

Violet のご主人、大庭さんなら必ず教えてくれるでしょう。暇そうな時間に行って、コーヒーでも飲みながら聞いてみてください。なお、Violet のご主人の名前は“おおにわ”ですのでお間違えのないように。この質問にバッチリ答えてくれるよう頼んでおきます。大庭さんは箱根に関する質問ならなんでもオッケー。お店に資料も揃っています。